横浜市民放送局生中継はこちらから

2009年06月18日

「はまティー」で「まちづくり市民放送局」を

鏑木.JPG1月31日に行われた「はまティー」で「まちづくり市民放送局」をアピール。
http://www.youtube.com/watch?v=EaYELbw40aY
「はまティー」とは、「よこはま発 市民による環境〜福祉 オールマイティーパーティー」の通称。続きを読む
posted by Y150市民放送局 at 18:16| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 市民テレビって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

街で、市場で、開港博で、市民がハマの暮らしを放送記録する


show_image_thumbzoom.jpg横浜信用金庫が発行し、各支店で配布されている「横浜ルネサンス」13号に、市民放送局に関する記事が掲載されました。
http://portside-yokohama.jp/featured/hashimoto_kouji.html
写真は同誌に掲載された、横浜中央市場での放送中の様子。
posted by Y150市民放送局 at 01:59| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 市民テレビって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月23日

日本では自己主張は難しい?

さてさて、年初のラスベガスでの大きな見本市からのレポートに興味ある記述が。
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20090111/zooma393.htm 

要約すると・・・
○今まで、ビデオカメラで動画を撮っても、誰に見せるのかといった点が解消できなかったので、子供撮り用途から脱却できなかった。
○しかしYouTubeの登場で、動画に対する価値観が大きく変化した。米国では、テキストで書くのではなく、動画で自らをプレゼンテーションというスタイルが定着した。
しかし、日本では3つの理由からそれが難しい。
○第一に、ケータイを使う若者が多く、動画をネット経由で共有・公開するというシステムが根付かない。
○第二にネットの使い方の違い。日本では今、いかにネットから個人を隠すかという教育をしているし、メインテーマとなっている。自分の顔を出してネットに動画をアップロードすることはあり得ないだろう。
○第三に日本のネットユーザーの気質の問題。2ちゃんねるが与えた影響は大きく、その代表的なものは、「ツッコミ体質」。本題ではない些細な部分に匿名の観客としてボロカスにツッコむという気質を作ってしまった。逆に自分を出すのは覚悟がいるようになった。

というように、それぞれなるほどと思うことばかりです。

市民テレビとは、まさにアメリカのように、ネットを使って動画で自己主張しようよという提案なので、日本での実現の難しさは常々感じていました。
3つの問題は、それぞれ昔からの島国的な「自分を出さずに、こじんまりとまとまって、異端を排除する」という負の意識の遺産です。
それを変えていこうというのですから・・・大変だよなぁ。
ため息・・・
posted by Y150市民放送局 at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 市民テレビって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

100円で放送局!? 市民テレビの作り方

市民てれび4.jpgこのコミュニティの名前には4つのキーワードを入れています。
「100円」「放送局」「市民」「テレビ」です。

「100円」とは、すでにトピックを立てていますが、最近話題の安いパソコンからとったもので、パソコンだけでなく、カメラや回線やサーバーなど、全てにおいて安価にやることを象徴しています。
お金がかからないってことは、「誰でも何時でも何処でも」やるためには絶対に必要なことなのです。
コマーシャル収入や補助金に縛られることなく、自由に自分の思いを発信するためには、とにかく安く出来なければならない、と思っています。
そう、私は本当の市民のメディアとは、「誰でも何時でも何処でも」使えるメディアだと思っているのです。

「市民放送局」と銘打つか「市民テレビ」にするか、迷ったのですが、まず「局」というと、私の中では権威的・組織的なイメージが強いのが、好みではありませんでした。
また、「放送局」というと、音声だけのラジオ局のイメージが強く、実際検索してもラジオ局が多いのです。音声と動画は、用途・効果が全く違うと思っているので、あくまで動画の「テレビジョン」にこだわりました。

さらに検索結果では「市民放送局」は、行政による市民広報の例が多いのも実態です。
「市民」の名をつけ、市民が番組を作り市民向けの放送をやっていても、その管理権が市民以外の他者にあるのでは、私の理想とする「市民のメディア」ではありません。
of the people by the people for the people」の三つが必要なのです。

ですから「市民テレビ」は、大きな組織に頼ることなく、極端に言えば一人でも出来るテレビを目指します。それが基本です。
でも、「個人テレビ」ではないのです。あくまで「市民テレビ」なのです。
個人と市民の違いは何でしょう。そもそも「市民」って何でしょう。

抽象的・観念的な話は置いておいて、少なくとも「市民テレビ」は、世の中の不特定多数に向けて、映像を使って思いを伝えるメディアだと思っています。

具体的には別稿で。
posted by Y150市民放送局 at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 市民テレビって? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。