
「100円」「放送局」「市民」「テレビ」です。
「100円」とは、すでにトピックを立てていますが、最近話題の安いパソコンからとったもので、パソコンだけでなく、カメラや回線やサーバーなど、全てにおいて安価にやることを象徴しています。
お金がかからないってことは、「誰でも何時でも何処でも」やるためには絶対に必要なことなのです。
コマーシャル収入や補助金に縛られることなく、自由に自分の思いを発信するためには、とにかく安く出来なければならない、と思っています。
そう、私は本当の市民のメディアとは、「誰でも何時でも何処でも」使えるメディアだと思っているのです。
「市民放送局」と銘打つか「市民テレビ」にするか、迷ったのですが、まず「局」というと、私の中では権威的・組織的なイメージが強いのが、好みではありませんでした。
また、「放送局」というと、音声だけのラジオ局のイメージが強く、実際検索してもラジオ局が多いのです。音声と動画は、用途・効果が全く違うと思っているので、あくまで動画の「テレビジョン」にこだわりました。
さらに検索結果では「市民放送局」は、行政による市民広報の例が多いのも実態です。
「市民」の名をつけ、市民が番組を作り市民向けの放送をやっていても、その管理権が市民以外の他者にあるのでは、私の理想とする「市民のメディア」ではありません。
「of the people by the people for the people」の三つが必要なのです。
ですから「市民テレビ」は、大きな組織に頼ることなく、極端に言えば一人でも出来るテレビを目指します。それが基本です。
でも、「個人テレビ」ではないのです。あくまで「市民テレビ」なのです。
個人と市民の違いは何でしょう。そもそも「市民」って何でしょう。
抽象的・観念的な話は置いておいて、少なくとも「市民テレビ」は、世の中の不特定多数に向けて、映像を使って思いを伝えるメディアだと思っています。
具体的には別稿で。